まえがき
最初に断っておく。
この記事は転職活動中で収入が途絶えていたり、何かの目的のためにお金が必要で貯金に励んでいる人が読むのはおすすめしない。というか、読まないほうがいい。
たとえば以下の記事を読んで共感するような金銭的余裕のある人、もしくは、悪い環境から抜け出して生活に余裕が出てきたり、一息つくタイミングがやってきた人のために書いたものである。
あるいは、転職・就職・引っ越しなど、生活をリセットする機会が訪れた人にもいいかもしれない。
鈍すれば貧す(貧すれば鈍す、ではなく)
2026年現在の日本では、たいていのモノは工夫すれば安く手に入れることができる。
衣食住でいえば、大型のBOOKOFFやしまむらで「衣」を、自炊することで「食」を、駅から遠くアクセスの悪い住宅を選ぶことで「住」を、それぞれ低コストで入手する、といった具合だ。
デジタルコンテンツの娯楽ならさらに安上がりである。
スマホとWi-Fi環境のためのコストはかかるが、ゲームは基本無料のソシャゲで、テレビ番組はTVerやYoutubeで、孤独の解消手段はSNSで調達できる。
次元をもうひとつ下げてみよう。
無料のアプリを使えば、Youtubeやニコニコ動画に出回っている音楽でプレイリストを作り、スマホに入れて持ち運べる。ジャンプ漫画の最新話や、放映されたばかりのアニメを無料で読む・観る手段もある。(もちろん違法である)
この記事でしようとしているのは、そういう「節約」が慢性化することで失うものがあるという話である。
リスクその1:人から”そう”見られる
趣味にお金をかければかけるほど偉いわけではない。
偉いわけではないが、1円もかけないのと、多少なりとも出費しているのでは、大きな差がある。
端的に言えば趣味にお金をかけていない場合、その趣味をもつ友人(いわゆる「同好の士」)に出会う確率が下がるのだ。
人が何かにお金をかけているかどうかが傍目で分かるのか?と思うかもしれないが、これが案外バレる。
ひとつ例を紹介しよう。
上記の楽曲だが、Youtubeにアップロードされているものと、iTunes等で購入できる製品版では内容が違う。
一部のSEがあったりなかったり、製品版限定のメロディが1フレーズだけ仕込まれていたり、といったものだ。
現代のコンテンツには上の楽曲のように、無料版と有料版(もしくは廉価版と高級版)で内容をこっそり変えていて、しかもその内容についてユーザーに特に通知しない、という形態を持つものが多く存在する。
そして、そのほとんどはきちんと購入した人にだけ分かる仕掛けになっている。つまり、特に自分では気にならなくても、その分野に通じた人に見られれば一発でわかる。
上記のプレイリストの話のように、Youtubeに出回っている音楽でプレイリストを作って車の中で流していたとしよう。そこには、製品版に存在するはずのフレーズが抜け落ちた音楽ばかりが流れている。歌詞も製品版とは違う。
助手席に音楽に通じた人がいたとしたら、「この人は音楽に対して、お金をかけるほどの熱量がないんだな」もしくは「安く入手する行為そのものに情熱を燃やすタイプなんだな」と思われ、プレイリストを流している側はそれに気づけない、なんて事態が発生しかねない。
ここまで極端とは言わないにしろ、「お金をかけたかどうか」は人からの見られ方に多少なりとも影響し、それが付き合う人の数や種類にも反映される。
何か興味のあるものごとを見つけた時、「いかに安く入手するか」が何よりも先行して頭に浮かぶような考え方が定着しているなら赤信号だろう。
もしそうならば、その考え方が知らず知らずのうちに普段の行動に漏れ出ていると考えられるからだ。
筆者もかつてはそうだったので、最近は金ができるたびにiTunesで楽曲を買い、手元のプレイリストにある同じ楽曲と入れ替えている。かつて作った無料音楽のプレイリストは、今その7割ほどが有料音源だ。
(作者が亡くなる等の理由で、永遠に有料にならなくなってしまったものもある)
リスクその2:”無料”の世界にはないコンテンツがある
節約を経験したことのある人なら共感していただけるだろうが……
「○○を買う金がない/もったいない」というシチュエーションで、どうにかして入手方法を探すのではなく、「いっそ諦める、ガマンする」という選択肢を取ったことはないだろうか?
これが習慣化すると、趣味・嗜好自体が「無料/安価で入手できるもの」に偏ってくるのである。
たとえば、上記で軽く触れた「ジャンプ漫画の最新話や、放映されたばかりのアニメを無料で読む・観る」のくだり。
あの手のもののほとんどは、漫画やアニメ等のコンテンツを観たり買ったりする機会自体がない海外のネットユーザーが主要なターゲットである。故に、載っているのは海外にも名が知れているような有名コンテンツばかり。
映画の「国宝」だとか、書籍の「リーダブルコード」だとか、雑誌の「ニュートン」だとか、そういった万人が読む・見るものではないニッチなコンテンツの「無料版」は存在しない。
リスクその3:機会損失
消費行動には体験するタイプのものもある。
ライブやツアー旅行、クラブやバーといった、その場に足を運ぶ必要のある娯楽の多くはそうである。
当然であるが、ライブ会場や旅先、飲食店etc…では守るべきマナーがある。
そこでの正しい振舞い方や適切な行動がわからなければ、いくら「お客様」であっても恥をかくのは必至である。
そして、その手のマナーは実際にその場に足を運んでみなければ学べない。
極端な例でいえば、銭湯でお馴染みのルール「浴槽に入る前に身体を洗う」も、実際に銭湯に行こうとしなければ身に着くことはない。
振舞いに限らず、飲食店などの相場観も実際に経験するまで分からないものは多い。
居酒屋1件に滞在するならともかく、複数人の集まりでは2次会や3次会、といった突発イベントが発生する。1件目の飲食店でどの程度飲み食いをするか、どの価格帯の店を選ぶかだけでも、かかる費用は変動するだろう。
いくら散財するかはともかく、そこで何が起こるかを知ってさえいれば低い判断コストで足を運ぶことができる。
ここでいう「判断コスト」は、そこに足を運ぶときどの程度身構えるかとほとんどイコールである。
身構えた状態で、いつも通りの振る舞いができるだろうか?
節約は、そうした経験値獲得の機会を奪ってしまうものとしての側面もあるのだ。
人は食べたもので出来ていると言うように
「何にどの程度金を払うか」と、その人の人柄・人間性は強く結びついている。
性格が消費の方向性を決めるともいえるし、逆に「普段買わないものを買う」という行動を通して自分の趣味嗜好をある程度操作できるともいえる。
食べ物に金と手間をかければ食通に、それを服にかければおしゃれ好きに、人が興味を見出さないようなニッチなものに費やせばオタクになるように、「ものを入手し、消費する」という行為にはそれ自体に人の方向性を決定づける力がある。
節約にも同様の力があり、その悪影響が出てしまっている状態が「金の使い道がなくなってきている」なのだろうというのが筆者の考えである。
では、お金があるとき、人は何に金銭的コストをかけるべきなのだろうか?
所感でいえば、「今すぐ買う必要があるとは思えないものに、ほんのちょっとだけお金を出す」がよいと考えている。
ChatGPTに1か月だけ課金してみたり。行ったことのないお店に行ってみたり。
買うタイミングを逃したバスタオルラックをつけてみたり。食洗器やルンバのような自動化家電に手を出してみたり。
人から勧められた漫画を、勧められたままに購入してみるというのもある。
本当に好きなアイテムなら、本当に好きなライフワークなら、本当に好きな作品なら、
誰かに言われるまでもなく、きっともうすでに持っている。始めている。知っている。
だからこそ、「買う」を通して「好き」を探求する行為には意味があると思うのだ。

コメント
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よーしGeminiに課金するぞ〜って後押ししてもらえました。